2004年11月から2005年6月まで
ウッジ工科大学で日本語を教えるために滞在
インターンシップと言うシステム日本の人材派遣会社にお金を払い、
手弁当で外国に教えに行くという世にもお人好しな方法で
行った先がポーランドのウッジという町
人口79万人
19世紀大きくなった町でポーランド人(働き手として)
ドイツ人ユダヤ人(経営者として)のもとに
繊維産業で栄えたが
今はあちこちに廃墟の工場がある。
ポーランド第二の都市
ウッジ工科大学 画像の上でクリック
ウッジ工科大学本部 昔の工場主の屋敷跡 |
日本語を教えていた 教室のある 建物屋敷跡 |
日本語を教える 難しさは如何興味を 長く持たせるか |
寮の窓から見えた プロテスタントの教会 |
寮の窓から見えた カソリックの教会 |
教室のある建物の玄関
重厚な内部ホール | 半地下の教室 | 半地下からの眺め |
繊維工業華やかりし頃の屋敷跡を 工科大学は上手に教室や事務局として使用 内部の作り、装飾からこの町に一時富が集中していた事がわかる |
学生寮 大学院生以上の寮の一室が ポーランドの我が家6畳のベッドルームに トイレ、シャワー小さな冷蔵庫が別についている。 台所は共同、隣にあった。 |
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ポーランド語の寮の名 | 寮全景 | 寮の入り口で売っていたもの 男女共同の寮から考えて! 立ち止まってなんだろうと 考えている 自分の姿が |
左奥にシャワー 全てが古かった |
この狭い部屋で八ヶ月 寒い雪の冬を乗り切った 暖房は町全体にお湯が 供給されて部屋を暖める |
部屋のベッド(ソファ) |