ポンペイ

ポンペイは西暦62年に激しい地震に見舞われ,すぐに復興がなされたが
その復興がまだ終わっていない 西暦79年8月24日にヴェスビヲス火山が爆発、灰と溶岩に覆われる事になる。
その当時の人口は約15000人(自由民60%、奴隷40%)
ポンペイは城壁3kmに囲まれ、8つの門を持つ都市だった。

画像からも分かるように都市計画は今よりいいのではないかと思われるほどで道路は歩道と車道があり、
サルノ川からの水は自宅に引く事も出来、町には公共の水も供給され、男女別の公衆大浴場があり、
飲み屋あり、売春宿あり、マーケットあり、劇場あり、円形闘技場あり
オリーブやワインを作って栄え、裕福な生活だっただろうと想像がつく!

ローマとの関係はローマの同盟都市として市民権を与えられていた。と言うことはローマの行政官がポンペイを治めていた。

ポンペイと云う町があったという事はは16世紀に分かっていたが18世紀(1748年)まで発掘は行われなかった。
1748年以降19世紀は発掘は行われてきたが20世紀になって発掘は進み、それに伴う修復が現在もなされている。
ポンペイ全体は66ヘクタールあり、現在その45%が発掘されたにすぎないとの事

エルコナールからポンペイまでヴェスビオス周遊鉄道で約25分で到着


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ポンペイ


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