QATAR

44年前の4月、半年前に赴任した夫の元へ5歳になる息子と生まれて3か月になる娘を連れて
カタール ドーハのローカル色豊かな飛行場に降り立った。
もちろんカタール航空がある訳でなし、確か香港で乗り継いだ様に覚えている。
住み始めた4月以来次の年まで一滴の雨も降らず真っ青な青空が続いて雨にあこがれた。
ただ4〜5年前に訪ねたドーハは5月に曇って砂嵐・・・・・・これも気候変動の影響かもしれない。

その当時会ったイギリス人の職業を聞くとカタールの子供や少年にサッカーを教えに来てると
言っていたのでその当時から今回の国際サッカーを目指していたのかもしれない。
たった半世紀で固い茶色の土地を高層ビルに変え、
地下鉄を作り、7つものサッカー場を作り上げた財力には驚ろきを禁じ得ない。
ドーハ―よりもう少し西寄りには石油化学工業や製鉄所があるが確か日本の技術で造られたのではないかと思う。

写真でカタールの今昔を見て頂けたらと何年かぶりでホームページに向き合いました。


三年前にカタール・ドーハを訪ねた時のコーニシュ ロード沿いに建つ様々な高層ビル・
どんな事務所が入っているのだろう・満室なのだろうか
2020年人口280万人(外国人居住者を含む)多分カタール人は28〜30万人?確か44年前は16万人位だったと記憶しているが・・・・・
目も覚めるような近代的な高層ビルに至るまでの44年ほどの道のりをセピア色の写真から見て頂き、
またカタールの独立(1971年)以前の写真や絵などからも如何に猛スピードで国を造り上げていったかを見て欲しい。
2022年のワールドサッカーから昔に遡る事にしたい。


飛行場からホテルに向かう車の中から撮った画像 シャッター押すのも忘れるほど街並みは変化していた。 ヤシの木だけは昔と変わらず 椰子の実(デイツ)が懐かしい



ポイントすると夜景が見えます 
泊まったホテルの窓から写す

プールが写っているがこれは外国人ホテル客の為
現地のイスラム教の女性は男性の前で水着は禁止
私の居た頃にあったクラブは女性の日があり
その日はウェイトレスから見張りの人まで全て女性
ラウンジにはカーテンが下され、
プールが見えないようにされていた


在位中の首長 タミーム・ビン・ハマド ドーハのタクシー 44年前はタクシーなんて一台もなかった 遠くに三角形のシェラトンホテル44年前は鉄骨


ルサイル競技場 収容人数88966人 ルサイルとは計画都市の名前
この会場はサッカーの決勝戦会場となる

   ここまでは今のカタール  昔のカタールの写真を紹介しよう

44年前の我が家 隣(向かって左)に同じ建物があり
ここが事務所
暑さを避ける為か家族の居間は
ほとんど窓がなかった。玄関の左には
広い来客用の応接間と食堂があり
カタールではマジョリスと呼ばれ大邸宅では
男性来客用のマジョリス女性来客用のマジョリス
があると聞いている
この家はCリング(道路の名前、A,Bリングはどこか知らない)
沿いにあり今も建っているらしい
台所から見えた風景
国旗から見てドイツ大使館だと思う
日本の商社の方が子供を
連れて駐在していた


上左の画像のような家もあったが1981年11月にはまだこのような
たたずまいもあったらしい
これも左に同様新旧混在 屋根の上の箱は水を入れたブリキの箱
満杯にして何日持ったか、水道水はなく
当時水は購入していた。
今は確か日本の技術で海水を真水にして各家に供給している


44年前の商業施設 フランスのファションの店(高級ブティック店)


政府機関と思うが何の建物か分かりません


この辺りの船ダウ船と言う 
画像をポイントすると画像が変わります


遠くにできあがったシェラトンホテル コーニシュロード建設中


多分これはアル・ズバラの遺跡と思うが今はかなり整備されている


カタールの楽しみはラクダレース!当時競争ラクダ一頭は車一台と同じ値段と聞いたことがある。
この写真のラクダのこぶに乗っているものに注視して頂きたい。これは騎手の代わりにロボットを載せている。
ロボットに指示を出すのは並行して走っているランドロバーに注目・・・・ここから騎乗ロボットに指示が送られる。

世界的に子供に対する人権又は児童虐待が言われ始めてロボットの登場になった。
それまでは小さな男の子をラクダに乗せ騎手にしてやはり
ランドローバーから馬主ではなくラクダ主が指示を出していた。
下の二枚の写真は人権問題児童虐待が言われなったころの子供がまだラクダの騎手をしている写真。


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